「並外れた集中力を持ち、幼少期から文字の読み書きを教えなくても自分で会得してしまう」
「非常に難解な数学の公式を解いたりや難解なパズルを簡単に完成させてしまう」
「同世代の子どもと比べて数多くの語彙を持ち、難解な文章を構成することができる」
「学校の授業が簡単すぎてつまらないと言う」など、幼い頃から特定の分野で高い能力をもち、それを発揮する人がいます。
そのような人は、「ギフテッド」と呼ばれる人々かもしれません。ギフテッドの人は、先天的に顕著に高い能力を持っている反面、生活をするうえで大きな苦手を抱えていることもあります。
また、驚異的な能力を示すことで、周囲から誤解をされ、生きづらさを感じている場合もあります。
年齢相応な学習課題に対して繰り返し練習や勉強をおこなうことで好成績を上げるような「優秀児」といわれる子どもさんとは異なった、強いこだわりや独特な性質を持っていることも少なくありません。それゆえに、支援が必要とされるケースもあります。
ある特定の分野において突出した才能を示す一方で、社会性や情緒の発達に遅れを示す場合があります。そのため、同年代の集団になじめなかったり、強いこだわりを持つことで周囲とのコミュニケーションが取りづらくなるといった困りごとが生じることがあります。
ギフテッドの子どもは、特定の分野の才能が秀でている半面、そのほかの分野の苦手さが目立ったり、それが辛いと感じてしまう場合もあります。周囲から理解を得られにくいことも、本人の辛さの一因となります。
このように、高い能力に恵まれる一方で独特な特性ゆえの生きづらさを抱えやすい側面もあり、うつ状態にも陥りやすいことも指摘されています。
ギフテッドの教育については、これまでアメリカなどにおいて「全科目で高い教育を行うわけではなく、個人の突出した分野に注力した、領域に依存しない才能を伸長する教育」が考えられてきました。しかし近年では、特定の分野に焦点を当てて注力していくような領域依存的な才能を伸長する教育や、特異な才能と学習困難さとを併せ持つ児童生徒に対する教育も含め考える傾向に変化してきています。
具体的には、日本においては令和3年から文部科学省によって「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 」とするギフテッドの学習支援についての検討がおこなわれています。
ギフテッドの子どもは、定型発達とは異なり、ある部分は非常に得意とする一方で、大きな苦手分野を併せ持つといった、領域によって発達の程度が異なるケースもあります。このことから、言葉や認知能力が非常に発達している一方で、精神面や社会面に難しさを抱える場合なども見られます。
ギフテッドの子どもは、同年代の子どもたちへの溶け込みにくさなどがある場合も少なくなく、学校で理解を得られなかったり不登校になったりすることもしばしばあるとされています。
そこで、日本においてもギフテッドの子どもにおける不登校の対応などについても検討がなされています。
文部科学省は、学校におけるギフテッド教育の概要として、特異な才能のある児童生徒も含め、「個別最適な学び」を通してそれぞれの資質や能力を育てていき、「協働的な学び」という観点も大切にしながら子ども同士がお互いの違いを認め、学び合いながら相乗効果を生み出す教育が必要だとしています。
ギフテッドの子どもは、定型発達の子どもよりも物事の理解が数段早いために、すでに理解したことを繰り返すことを極端に嫌う傾向があるともされています。
そのため、計算や漢字などのドリルの繰り返しを嫌がったり、すでに分かっている内容について丁寧に記述することをつらく感じたりすることがあります。
周囲の大人は、ギフテッドの子どもが持つさまざまな性質について知り、一人ひとり異なる困りごとについて目を向け、理解していくことが大切です。
さらに、ギフテッド教育においては通常の学校教育以外にも、能力を伸ばしていくにあたって大学や民間団体などが担う役割が大きいともいわれています。