それ、本当に「事実」でしょうか?

心を苦しくする“考え方のクセ”に気づく ―

「認知のゆがみ」とは、考え方のクセのこと

「認知のゆがみ」という言葉を聞くと、何か特別な心の問題のように感じるかもしれません。

けれども、決して珍しいものではありません。

私たちは、目の前で起きた出来事を、そのまま受け取っているようで、実は自分なりの受け止め方をしています。

同じ出来事が起きても、

「大変だけれど、何とかなるかもしれない」

と思う人もいれば、

「もう全部だめだ」

と感じる人もいます。

このような、物事の受け止め方や考え方のクセを、心理学では「認知」といいます。

そして、不安や疲れが強いときには、考え方が一つの方向に偏り、実際以上に自分を責めたり、悪い結末を想像したりすることがあります。

これが「認知のゆがみ」と呼ばれるものです。

もう少し分かりやすく言うなら、心が疲れたときにかけてしまう「色メガネ」のようなものです。

こんなことはありませんか?

例えば、仕事で一つミスをしたとします。

そのとき、

「一つ間違えてしまった。次は気をつけよう」

と考えることもできます。

ところが、

「また失敗した」
「私は何をやってもだめ」
「周りの人も、きっと私を仕事ができない人だと思っている」

と、一つのミスから自分のすべてを否定してしまうことがあります。

本当に「何をやってもだめ」なのでしょうか。

うまくできた仕事や、人から感謝されたこともあるはずです。

けれども、心が疲れているときには、できたことは見えなくなり、失敗だけが大きく見えてしまいます。

返事がないと「嫌われた」と思ってしまう

誰かにメッセージを送ったのに、なかなか返事が来ない。

そんなとき、

「忙しいのかもしれない」
「あとで返そうと思っているのかもしれない」

という可能性もあります。

それなのに、

「何か怒らせたのかな」
「嫌われたのかもしれない」
「きっと私のことを面倒だと思っている」

と考え続けてしまうことはないでしょうか。

相手の気持ちは、相手に確かめなければ分かりません。

それでも私たちは、不安になると、まだ分からない相手の気持ちを悪い方向に決めつけてしまうことがあります。

一度うまくいかないと「いつもこうなる」

何かに挑戦して、うまくいかなかったとき、

「今回はうまくいかなかった」

ではなく、

「私はいつも失敗する」
「どうせ次もだめ」
「これからもうまくいくはずがない」

と考えてしまうことがあります。

けれども、「一度」や「今回」が、そのまま「いつも」や「これから先もずっと」になるとは限りません。

過去にうまくいかなかったことがあっても、次は条件や相手、自分の経験も違います。

今までと同じ結果になると決まったわけではないのです。

「きちんとしなければ」と自分を追い込む

「母親なら、いつも優しくしなければならない」
「仕事は完璧にしなければならない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「弱音を吐いてはいけない」

このような「こうあるべき」「こうしなければならない」という考えも、私たちを苦しくすることがあります。

もちろん、責任を持つことや努力することは大切です。

けれども、人は疲れることもあれば、間違うこともあります。

できない日があるからといって、その人の価値がなくなるわけではありません。

「今日は十分にできなかった」

ということと、

「私はだめな人間だ」

ということは、同じではないのです。

悪い未来を先に決めてしまう

少し体調が悪いと、

「大きな病気だったらどうしよう」

人前で話す予定があると、

「絶対に失敗する」
「頭が真っ白になって笑われる」

子どものことで心配があると、

「このまま学校に行けなくなるのでは」
「将来、大変なことになるのでは」

と、まだ起きていない最悪の出来事を想像することがあります。

心配することで準備できる場合もあります。

しかし、悪い未来ばかりを繰り返し想像していると、まだ何も起きていないのに、心と体はすでに大きな危険が起きているかのように疲れてしまいます。

考え方のクセは、誰にでもあります

大切なのは、認知のゆがみがあることを、「自分がおかしい」と捉えないことです。

誰にでも考え方のクセはあります。

特に、疲れているとき、不安が強いとき、自信を失っているときには、そのクセが強く出やすくなります。

問題なのは、考え方のクセを持っていることではありません。

その考えだけが「絶対に正しい事実」だと思い込み、自分を追い詰めてしまうことです。

「ほかの見方はないかな」と立ち止まる

苦しい考えが浮かんだときに、無理に前向きになる必要はありません。

「気にしないようにしよう」
「ポジティブに考えよう」

と自分に言い聞かせても、かえって苦しくなることがあります。

まずは、

「私は今、こう考えているんだな」

と気づくだけでも十分です。

そして、少し心に余裕があれば、自分に問いかけてみます。

「これは事実だろうか。それとも私の予想だろうか」
「本当に、いつもそうだろうか」
「反対の可能性はないだろうか」
「親しい人が同じことで悩んでいたら、私は何と言うだろう」
「もう少し自分に優しい見方をするとしたら、どう考えられるだろう」

一つの出来事には、たいてい一つだけではなく、いくつもの見方があります。

違う考え方があると知るだけで、心は少し楽になる

「返事がない。嫌われたに違いない」

と思ったときに、

「忙しいだけかもしれない」

という別の考えが一つ加わる。

「失敗した。私は何をやってもだめだ」

と思ったときに、

「今回は失敗したけれど、できたこともある」

という考えが加わる。

それだけでも、心の苦しさは少し変わります。

最初の考えを無理に消さなくてもよいのです。

「そうかもしれない。でも、別の可能性もある」

と思えることが大切です。

考え方の選択肢が一つしかないと、心は追い詰められてしまいます。

けれども、二つ、三つと違う見方を持つことができると、心に少し余白が生まれます。

自分を責める前に、心の色メガネを確認してみる

苦しいとき、私たちは出来事そのものではなく、自分の受け止め方によって、さらに苦しさを大きくしていることがあります。

そんなときは、自分を責める前に、

「今、私はどんな色メガネでこの出来事を見ているのだろう」

と、少し立ち止まってみてください。

認知のゆがみに気づくことは、自分の考えを否定することではありません。

自分の心を理解し、自分を苦しさから守ることです。

一人では別の考え方が見つからないときもあります。

同じことが何度も頭に浮かび、自分を責め続けてしまうときには、誰かに話すことで、これまで見えなかった別の見方が見つかることがあります。

「こんな考え方をする自分はだめ」と責めるのではなく、

「今の私は、それほど疲れているのかもしれない」

と、自分の心に目を向けてみてください。

違う考え方もあると気づくことは、自分を変えるためではなく、自分を少し楽にするための第一歩です。

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